Tuesday, October 18, 2005

人と獣の違い


『人と獣の違い』
The End of The Game - Peter Beard

1965年に出版された本書は、今は亡きアフリカを救おうとしたPeter Beardの切なる願いが伝わる傑作であり代表作である。

The End of The Game (Gameとは狩猟とターゲットになる生き物の事を意味する)の表紙に渾然と立ち尽くす雄の象が威圧的に迫り、これから読む者に強いインパクトを与える。

表紙をめくると一変して、可愛らしく綺麗な子像がカメオの様に横たわっている写真がある。白く柔らかなブランケットの上に眠っている子像は狩猟のターゲットとなった母象の体から出てきた亡骸なのだ。アフリカの大地を踏みしめることなく母の愛撫を受ける事もなく、白く剥き出された胎盤の上に横たわって日に曝されて深い眠りに着く子像の写真から私はPeter Beardの心の叫びを聞いた思いがした。

全ページに語られているのは真のアフリカであり、そこに住む命ある全ての生物のさだめが映されている。生きる為に狩猟する者、または娯楽としてゲームする者、そして両方からターゲットにされるアフリカの美しい生き物達の凄惨な姿が写真によって克明につづられている。

私達は、ページを捲るうちに土ぼこりの舞う熱い風と血生臭いにおいが漂うアフリカの大地を感じながら、野生動物と自然と文明という相反したふたつの世界の人達から人間の弱さを徹底的に学ぶ事になる。

文明社会に生きている私達が当時のアフリカの様な大地で住む事は、もはや不可能に近い。それは、まるで大きな荷物を背負いながらライフルを握りしめて、強い日差しの中で肉食の動物達から身を守り疫病などに怯えて生きる様なものだからだ。

トリガーに人差し指を当てスコープから逃げ惑うターゲットに狙いをさだめる。仕留めた獲物を満足そうにして記念写真に映るハンター達の姿は、現在も変わらない『力』社会を象徴して見るに耐えない。
かたや、そこに住む人々の顔からは張りつめた緊張感が見える。この場所で生きる事がどういう事なのか自然と対峙する事の過酷さが読み取れる。

食物連鎖の中に人間がダイレクトに取り組まれている国、アフリカは過酷な自然の中にも一つの正しい秩序があった。
それを文明社会から来たひ弱な生き物が、自己満足の為に知恵を使って後先を考える事なく破壊し尽くしたのだ。

人と獣(けだもの)の違いはなんだったのだろうか? 命の尊さを教え知る事が人として一番大切な事ではなかったのか?

ゲーム・ハンティングによって命ある物をないがしろにする考え方は、自己防衛や食料確保を目的とした狩猟とは比べ物にならない程傲慢で愚かしい行為だと思う。

最後の数ページにセスナ機から空撮された貴重な象の墓場や一体一体の亡骸の写真が並ぶ。砕けている、溢れている、骨が牙が、画面一杯に埋め尽くされている。そして知る。怖さ、愚かさ、悲しみ、憤り、不安。

The End of The Game、この本で凄まじい程の人の愚かさ弱さを見た後に諦めにも似た感情が過る。

この地球上にある全てのThe End of The Game は何時くるのだろうか。

Tuesday, October 04, 2005

The Peggy Moffett Book


The Peggy Moffitt Book

『The Rudi Gernreich Book - Peggy Moffitt and William Claxton』


これは、60〜70年代を代表するファッションデザイナーのRudi GernreichとJazz Photographerとしても名高いWilliam Claxton、モデルのPeggy Moffittの3人の素敵な記録でありコラボレーションワークである。

だが、タイトルこそThe Rudi Gernreich Bookと銘打つものの本当の主役は表紙を飾るPeggy Moffittに他ならない。

ページを進めてゆくとPeggyがRudiのエゴイストなまでの作品を見事に消化し着こなしてゆくにつれ、まるで彼女の為に作っているような変化が作品から見られる。後半では事の重大さに気が付いたのか彼女の影響を振り離し独自のオリジナルに回帰しようと試みる。

しかし、私達は結果的にPeggy Moffittというファッションモデルの凄さ素晴らしさを知る事になる。確かにRudiのファッションにかけるバイタリティー、チャレンジやクリエイティブのユニークさ等は素晴らしいものがあるが、私が感動したのはPeggy Moffittが着ないRudiの作品が、まるで蝉の抜け殻の様だと感じた事だった。いくら斬新なデザインであってもモデルならば誰でも言い訳ではないのだ。そういう意味でも、まさにSuper Modelの凄さを思い知らされる出来に仕上がっている。

PeggyやTwiggyにしろ、60〜70年という未来への夢と不安をステアした色鮮やかなカクテルの様な時代は、それまでデザイナーのマネキン程度の認識しかなかったモデルという職業が一般人に大きくアッピールした革新的な時代であり、彼女達はその偉業を成し遂げた真のミューズ(美と芸術の女神達)と言えよう。

この本の中程に3人が並んで映っているスナップショットが納められている。そこには奇抜なメイクとファッションを脱いだ彼女の無邪気で愛さずにはいられない素敵な笑顔に出会える。

その笑顔が力強く教えてくれるのだ『人の美しさに勝るものはない』という事を。

夢の尊さ



『百年の孤独』ーガルシア・マルケス

もうずいぶん前に読んだ本なので記憶の断片をたどりながら書く事しかできないが、その分よけいな情報がそぎ落ちて核心だけが心に残っている。

6ポイント程の小さな活字が上下2段に組まれ1ページに収まって、読むという行為に軽い緊張感を与えてくれる。はじめのスローな進行に弱冠のもどかしさを感じながら、いつのまにか文章のスピードは加速し、むさぼる様に読んでいる自分に気がつく。そして一節一節を注意深く読む『癖』の様な物を身につけながら騙される喜びを体感する。
文体からあふれる楽しく奇妙な調べは、時としてほのかなエロスを醸し出し、まるで夜のカーニバルの様な一種狂気を孕んだ興奮を感じさせたり、まばゆいばかりの美しさを表して深い感動を与えてくれる。

こうして、この本を読む者は物語の世界へと旅をすることになる。

現実主義(リアリスト)や物質(マテリアリスト)にとらわれる事を好まない、もしくはそういう風潮に疑問を抱いている人であれば一読されることをお勧めする。

この物語から私は、夢を夢のままにしておく事の尊さを学んだ。
それは夢を現実にする事を良しとしてきた私達が、夢を掴んだ事で得た喜びや束の間の快楽の代償として『喪失』をも増やし続けてきた歴史への深い教訓となっているからだ。

無知な一般人だから味わえる幸せなひととき。




無知な一般人だから味わえる幸せなひととき。
『A fetish for beauty Blumenfeld』ー Willan A.Ewing

あまり好みではないカバーデザインを横目にしながらずいぶん長い間、放置していた。
ある日、他の本屋がこの本を激安セールして山積みされているのを見つけて初めて手に取った。

面食い(ジャケ買い)が後悔する一例を私はこの本で体験する。
当然ながら、一番良いコンディションのものを購入して(二冊買おうかともためらったが、いらぬ欲は捨てた。)まっすぐに家に帰ってから丁寧にページをめくった。もうマン・レイあり、コクトーありの魅力的なファッション・フォトを堪能する事ができた。
これはファッション・フォトグラファー、エディターとして活躍したアーウィン・ブルーメンフェルドの作品集である。

この作品集からはパクリだらけのしたたかながらも(大胆なオリジナティーの希薄さは認めざるを得ない)彼が、それらをファッションというベールで包む事によってコピー(パクリ)行為が新しいモードを与えたという事実は評価すべき事だと思う(よくある事だが:まだ日本のポップ・ミュージックが歌謡曲と呼ばれていた頃の作曲者のパクリぶりを思い出してほしい(それが悪いという意味ではなく、結果的に良い事もあったという事が言いたいだけ。))。そして彼の作品の良い所は単純で良質のパクリであり、今見ても驚きや感動を御託なしに与えてくれる所にある。また同じインダストリーに属する人々に対しても、どん欲に情報を吸収するしたたかさを映し鏡的に感じると同時に初心に帰る謙虚さも教えてくれるものである。

*これはAmazonに2005年9月19日に掲載されたレビューを元に改訂しています。

はじめに


このBlogは、私の読んだ、聞いた、見たといった書物や音楽の中でも特に良かった作品のレビューを載せています。
中には、Amazon等で掲載されているレビューも重複しています。
購入される前の参考にしていただければ幸いです。
また、コメントもいただけるとうれしいです。

*フランネルの花は、私がいるオーストラリアの山や野で見る事ができる野草の一種です。
オフホワイトの花弁と薄くて淡い緑の葉を持ち、とても柔らかな美しさを持ちながらも水気の少ない土壌に浅い根を張りながら成長する強さを持っています。そんな花の名をこのBlogのタイトルにしました。